【映画感想】名もなき生涯/戦争の反対は、愛だ

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名もなき生涯 映画

家があり、家族があり、命をつなぐ畑がある。雄大な景色に囲まれた小さな村には信仰による調和とささやかな幸せがあった。1938年、その村はオーストラリアごとナチス・ドイツにより併合された。

戦争の影

僕にとって戦争とは残念ながら遠い過去と遠い国での出来事だ。戦争を生き延びて生還した曽祖父は僕が幼少の頃にはもう寝たきりの状態だったし、彼をよく知る周囲の人達も多くを語ろうとはしなかった。学校の教育で教わった後は映画や小説で知ったエピソードを少し調べる程度で、旅行先で戦場の跡を見たりはしても本物の恐怖には届かない。平和しか知らないのだとつくづく思う。

この映画の冒頭も、僕の心境と同じだった。決して豊かではないけれど幸せそうな家族の姿。あまりにも平和でともすれば退屈とも言える日々の描写を眺めているうちに穏やかな風が頬を撫でて眠りに誘う感覚があった。いっそこのまま委ねてしまおうかと全身の力を抜こうとしたとき、不穏な重低音が僕を意識を引き戻す。あの轟音は爆撃機だろうか。遠くの山のその向こうを飛んでいるのか機影はどこにも見えない。

だけど前線から遠い場所にある村にも確実に戦争の影が伸びていた。

信念とは

フランツ・イエーガーシュテッターはこの村に住む真面目な村人だった。1度目の徴兵で訓練を受け、戦争という行為への疑問を持った。彼に対してドイツ兵はもちろん、周囲の村人たちでさえ従軍を求めた。具体的な要求は単にヒトラーの宣誓書にサインするだけだ。人を殺めてはいけないという信仰を広めるはずの神父でさえ目を瞑るという。弁護士も形だけでも良いからと諭す。

拘束され虐待を受け続ける毎日。愛しい家族にも会えず、処刑までの時間が刻一刻と近づく。サイン1つで拘留所から出られて、戦争が終われば家族のもとにも帰れるかもしれない。それでもフランツは自分の心に背いてしまうことこそが死なのだと信念を曲げず宣誓を拒否する。

戦争映画なのに戦闘描写はほぼ皆無。彼が戦う相手は敵でもヒトラーでもなく彼自身だった。『この世界の片隅に』には徐々に世界大戦の脅威に晒される中、どんなに辛くとも生きようとする信念があった。フランツは戦争とたった1人(神と家族だけが彼の味方だった)で戦争に立ち向かい、己の魂を守り通した。

信念とは結局、愛する人たちのために生きようとする力なのだ。だとすれば戦争は信念を持てない人間たちの愚かな行為だ。戦争の反対は、愛だ。

変わってしまったのは世界だ

頑なに己の意志を貫くフランツは周囲から孤立してしまったように思えた。だけど最後まで見届けた後に気づいた。彼が変わったのではなくて戦争が彼の周りの世界を変えてしまったのだ。信仰よりも自分が生きることを選び、そのために他者の命を奪い、生きる意味から目を背けてしまっている。

信仰とは決して盲目ではなく、真の意味で生き抜くための拠り所なのだと思う。

大切な人を守るため、他の命を奪わなくてはならない未来がいつか訪れるかもしれない。そのとき僕は「大切な人を守る」ことを言い訳に誰かを殺すのだろうか。命を捨ててでも自分を守り抜けるだろうか。

(C)2019 Twentieth Century Fox

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