【映画感想】さよならくちびる/音楽は悲しい

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音楽の思い出

年末に緊急で入院してしまったので、新年を過ぎて動けるようになってから無理のないように室内の掃除を始めた。本棚の下段奥を整理していると随分前に処分したと思っていたギター教本が出てきた。ずっと昔にヤマハのギター教室に通っていた時に使っていたものだ。懐かしくなってパラパラとページをめくっていると指の押さえ方や弾き方のコツが今よりずっと丁寧な字で細かく書かれていた。練習は嫌いじゃなかった。同じ課題曲ばかり弾いていた。独創性が足りなくてコードに合わせてアドリブで、と言われた途端にボロボロになって先生に笑われたのを覚えてる。

かつて一緒にバンドをやらないかと誘われたことがある。友人が何人かに声をかけ、皆で集まりコンセプトや将来の姿などを話し合った。理想だけを語っているだけで良かった最初の頃は良かったが、何度か顔を合わせているうち方向性の違いが生まれて求めている姿が噛み合わず、メンバー同士の相性の良し悪しなどもあり日に日に問題は増えていった。結局何の活動実績もないままバンドの話は白紙に戻ってしまった。1人で弦を鳴らすだけの音楽じゃなく、自分以外のメンバーがいる音楽は楽しいことばかりじゃない。そう思った。

さよならくちびる

さよならくちびるという映画を観た。アコースティックギター・デュオ「ハルレオ」の二人が解散ツアーに出かける場面から物語は始まる。ハル( 門脇麦)とレオ(小松菜奈)の関係はすでに最悪でお互いロクに口もきかず、ローディー(サポート業務を引き受けるマネージャーみたいな人)のシマ(成田凌)も愛想を尽かし諦めてしまった後だ。「このツアーが終われば俺たちは赤の他人だ」そういって言い切ってしまうくらい険悪な男女3人が、1台の車でライブハウスを巡る旅をする。

ハルとレオはバイト先で知り合い、作詞をしていたハルはどこか歌いたそうだったとレオを誘って2人のギターユニットが生まれた。徐々に活動が軌道に乗り始めサポートとしてシマが加入した。夢は大きかった。なのに3人の心が近づけば近づくほどにうまくいっていたはずにメンバー間のバランスは崩れ、ことあるごとにケンカ腰で向き合うようになっていく。見ているこっちの胃も痛くなる。ヒット曲に恵まれ周囲からもてはやされながらも裏ではメンバー間の険悪な雰囲気が漂う、そんなバンドあるあるを彷彿とさせる息苦しい場面が続く。

過去の回想を挟みながら解散に向かって静岡、新潟と次々と移動を続ける。どんなに苛立ちをぶつけ合っても演奏を聴けばわかる。普段はシマを間に入れて目も合わせない2人も、ひとたびギターを奏でればその歌声はピッタリと美しく重なる。誰も憎んでなどいない。3人ともお互いを知り過ぎていて、優しすぎるのだ。他の2人には幸せでいて欲しいと願うあまり自分の心が壊れていく。3人ともそうやって生きているしかない優しくて不器用な人間だった。

音楽はなぜ悲しいのか

なぜ音楽と悲しさが結びつくのだろう。悲しいときに聴く悲しい歌が心の琴線に触れるからだろうか。暖かい歌声が心に触れるときは悲しい気持ちのときだからだろうか。明るい気持ちの時に聴いた明るい曲は不思議と思い出せない。音楽を聴けばいつだって悲しい感情を一緒に思い起こしてしまう。

歌い手はもっと悲しい。きっと歌声に乗せた真実は誰の心にも届かない。聴き手が勝手に自分の過去と結びつけているだけでしかないから。劇中に登場した2人組の女性はハルレオの歌を口付さみ、メロディーに共鳴して涙する。でも本当は違うのだ。誰かの心を動かしたいんじゃない。すぐ隣にいる人に伝えたいのに。

コードは巡る

物語の終盤、ギターの演奏シーンで流れたコードは冒頭のそれと進行が一緒だった。途中がどんなにバラバラになっても最初のコードに戻ってくると音楽って安心感する。解散を固く決意していたハルレオの行く末は具体的に示されなかった。きっと傷ついた心は以前のようには戻ったりはしないだろう。だけどコードと同じでもう一度最初からって未来もあるのかもしれない。音楽は失うだけじゃない。つなげようと思えば何度でも繰り返して永遠に奏でられるんだから。

観ていて息苦しくなるくらい、やけにタバコ臭い映画だった。何かある度にタバコを口に加える姿が痛々しくて元々嫌いだったタバコの臭いがますます嫌いになった。これからはハルレオの事も思い出してしまうかも、と考えると一生吸おうなんて気持ちにならないだろうな。

(C)2019「さよならくちびる」製作委員会

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