【映画感想】フォードvsフェラーリ/憎らしいのに愛おしい映画

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去年の年末から健康に問題を抱えっぱなしで映画館から足が遠のいていた。一度気持ちが離れてしまうと「映画なんて家でも観られるし」なんて言い訳も浮かんでしまってスター・ウォーズでさえ踏ん切りがつかなかった。

なのにこの映画からは強い引力を感じて、今年初めての映画館へ吸い込まれていった。

世界最高峰のレース

ルマン24時間レースはF 1モナコグランプリ、インディ500と並ぶ世界三大レースの一つであり、世界で最も歴史ある耐久レース。 毎年20万人を超える観客が世界中から足を運び参加者たちとともに時間を共有するお祭りだ。

舞台となるサルテ・サーキットはル・マン郊外に位置し、コースの半分以上は公道として普段は一般車が走る少し特殊なコースになっている。F1などで利用する専用サーキットとは違い路面の凹凸が激しいうえに全長約6kmのユノディエールと名付けられたストレートでは1980年代後半に時速400kmを超えるマシンが登場するほどで(現在は安全性を考慮されてスピードを落とすようレイアウト変更されている)ドライバーにとっては命がけのレースになる。

作中の時代は2人のドライバー(現在では3人)が1台のマシンを担当して24時間走り続け、最も多い周回を重ねたチームが勝者となる。給油、タイヤ交換、メンテナンスやトラブル時の修理のためにピットと呼ばれる専用の駐車場に入っている以外はひたすら走り続けなくては勝てない。ドライバーやメカニックだけじゃなく声援を送る観客も体力を振り絞りながら戦い抜き24時間後のチェッカーフラッグで全員が祝福を受け、歴史に足跡を残して去っていく者、来年の雪辱を誓う者とそれぞれの未来へ新しいスタートを切って歩いていく。

モータースポーツ好きの僕にとってもル・マン24時間レースが開催される週末は特別だ。レースが始まるとタブレットでYouTubeのリアルタイム配信映像を流しっぱなしにし、出かける用事でもなければ寝ている以外は常に動画と音声が海の向こうの情報を拾い続ける。長い1日の中でアクシデントは一瞬で起こり、勝利の女神は最後の1秒まで誰に微笑むかわからない。2016年にはトヨタのマシンが残り3分まで独走状態だったのに突如走れなくなってしまったこともあった。そんなル・マンの魔物は目を逸らしたときに限ってやってくるから応援してる側としても隙を作ってはいけない。ある意味、長い儀式だ。

『人の力vs金の力』

『フォードvsフェラーリ』はそんなルマン24時間レースの歴史の中でも大きな時代の転換点となった1960年代での、2つの自動車メーカーの戦いを描いた映画だ。絶対的な統率者であるエンツォ・フェラーリの元、レースをするために車を売るフェラーリと、大企業として車を大量に売るためにレースをするフォードという全く異なる性格を持つ両者がお互いの誇りをかけて激突する。

フェラーリを買収しようとして手痛い仕打ちを受けたフォードは世界最高峰のル・マン24時間レースでフェラーリを打ち負かすため、レースマシン「フォードGT40」を設計し、アメリカ人で唯一ル・マンウイナーの称号を持つキャロル・シェルビー(マット・デイモン)を雇い入れ1964年の大会に出場する。車の開発を担当しているケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)は腕は確かだが怒りっぽく扱いづらい男として描かれている。彼をレースに出せば勝利の可能性は高くなるが、フォードとしての体裁にこだわる経営陣は彼にスポットライトが当たることを望まない。大企業と一匹狼、そしてその中間に立ちケンを補佐するシェルビーやフォード側の中間管理職たちのそれぞれの思いが交錯する。

当時のフェラーリは1950年代にル・マンで2勝を挙げ、1960年代に入るとPシリーズと呼ばれるマシンで4連覇を成し遂げた最強のチームだ。乏しい予算をエンジニアたちの努力でカバーし速くて耐久性の高いレースカーを創り上げた彼らに対し、フォードは圧倒的な資金力で対抗しようとする。ちょうど人の力と金の力が拮抗していた時代だからこそ成り立つ真っ向勝負は、両者の出会いがあと5年でも前後していたらこれほどのドラマはならなかったはずだ。この対決を機に一気にレースは資本力の戦いへと傾き出す。結局は金の力かよ、と憎らしい気持ちにもなるのだけれど憎みきれない。彼らの未来を知っているだけに哀愁も感じてしまうのだ。

人間ドラマ

レース映画にしては激しいバトルシーンが少なく感じられるかもしれない。それでも大画面の迫力のある映像は実際にコースを走っている気分を増幅し、決して想像を裏切らない。僕のようにグランツーリスモなどレースゲームをプレイしたことがある人は何度も走ったコースが目の前に現れるのだから思い入れも強くなるだろう。ウィロースプリングの長い高速右コーナーから立ち上がりやデイトナでのオーバルコースから1コーナーへの飛び込みなど勝負どころを作中でうまく使っているので満足度は結構高い。逆にサルテ・サーキットはストレート以外印象が薄いような気がするけど、今では見ることのできないル・マン式スタートなど雰囲気は十分に伝わってくるので許せてしまう。

物語の中心になるのは人間ドラマだ。フォードは車を売るために戦うのであって勝利ですらその目的を果たす手段の1つでしかない。でも戦う者たちには必要なのは勝利、特にケンにとっては自分の育てた車での優勝こそが生きた証だ。組織が何を得るために何を犠牲にするのか、ビジネスとしての駆け引きの方がレース以上に心を揺さぶる。決定するのは男ばかりの中で一際輝くケンの妻モリー(カトリーナ・バルフ)の存在も面白い。ケンもびっくりの度胸持ちでレーサーの気持ちを理解してくれる車好きにとっては女神のようだ。彼女の芯のある支えを、作中を通して感じながらラストへと繋がっていく。

フォードのル・マン24時間レースへの参戦が3年目を迎えた1966年、勝利を手に入れるには車の開発に深く関わったケンの力が必要だと考えたシェルビーは強引な手腕で彼をル・マンのドライバーに抜擢する。ケンはずっと支えてくれた妻モリーと息子ピーターの思いを背負って走る。アクセルペダルを踏み込みガソリンをエンジンに供給する。エンジンの中で燃料が爆発した威力でピストンを押し下げタイヤへ動力を伝えるクランクシャフトを回転させる。速く、もっと速く。ケンの意志はエンジンへと伝わり限界域の7000回転を超えてさらに加速する。スピードが200マイル(320km)に達したとき、彼の目にはどんな景色が広がっていたのだろう。もしかすると未来さえも見えていたのかもしれない。エンディングを迎えた後になって、ふとそんなことを思いついた。

おわりに

史実がベースのフィクションだから何をしたっていいのだけれど、気になったのはタイトルが『フォードvsフェラーリ』なのにフォード社内でのバーサスが多くてフェラーリの存在感がちょっと薄すぎる点と、シェルビーのいたずらにアタフタしたりして彼らが若干頭弱い子扱いされてしまったのは少し不満でした。湯水の如く金をつぎ込むフォードを相手にプロフェッショナルな人間たちの力で対抗し続けたチームですよ。いくらライバルとはいえもう少し敬意を払ってもらいたかった。ずるい嫌がらせなんてしなくてもあのチームは期待を裏切ったりしないのだから(一部のファンからは「おれたちの」と呼ばれる一種の自爆行為というお家芸を持っているのです)。

あと、この映画ヒットすればするほどフォード車売れなくなってしまうんじゃ?

(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation

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