【映画感想】天気の子/ただ手を伸ばした

天気の子
(C)2019「天気の子」製作委員会

青空も、雲の隙間から差し込む光も、綺麗なのにどこか悲しかった。だけど提示された答えは温かかった。たとえ眩しい夢みたいな一瞬の希望だとしても。

7月に入って、東京では雨が振り続けた。異常気象という言葉が、その特異性を普段どおりの日常に置き換えてしまった。『天気の子』という作品が劇場で公開されると、湿り気を帯びた空気は全て物語の中に吸い込まれて現実の東京には青空が戻った。そして映画の舞台は東京。なぜか、ずっと雨が降り続いている。それ絶対おかしいから!もっと真剣に考えなくていいの?と心配になるくらい落ち着いて暮らす劇中の人々。でもその光景こそが今年の夏に実際に起った事実だった。

延々と降る雨。薄暗い街を照らすネオン。その光に照らされた場所だけが華やかで、空模様など誰も気にしていなかった。狂った世界では、狂った出来事が日常だった。

そんな雨に濡れる東京の中で、決められたルールから意図せずに放り出されたり、ふとしたきっかけでルール自体に疑問を持ってしまった主人公たちの物語。僕も故郷から東京に逃げ出してきたようなものだし、帆高くんの感じる息苦しさはなんとなくわかる。陽菜さんと出会ってからの毎日は退廃的だけど幸せそうで、とても愛おしかった。欲しかったのは物質的な豊かさじゃなく、一緒に笑って、一緒に呼吸できる温かさ。いつか終わってしまうと知っているとしても。

陽菜さんの行動も共感してしまった。自分の命と引換えに他の人を幸せにできたらいいのになって考えてしまうときもあるから。その覚悟は悲しい。だけど誰かの幸せを奪うことでしか自分が幸せになれない世界なら、生き続けるのはもっと悲しく見えてしまうんだ。

そして、そんな子供たちを取り巻く大人たちの無理解さが心に刺さる。実際にもこんなにも無責任で、押し付けがましくて、ポンコツな姿に映ってるのかな。大人の事情を子供に押し付けるのってかっこ悪いな。その上、みんな話を聞いてあげないんだよね。

だけど、誰かのために走り続ける自分に手を差し伸べてくれる人がいるだろうか。背中を押してくれる人がいただろうか。それも大人の役割なのかなって思う。

きっと帆高くんは、他の誰かを犠牲にしても良いと思って陽菜さんの元に走ったんじゃないと思う。1人のために多くの人間を犠牲にしても良いのか!って怒る人もいるかもしれないけど、彼にとっては彼女が世界の中心であって、きっと、ただひたすらに手を伸ばしただけなんだ。

自分たちで選んだ未来を、大丈夫だと信じて、いつまでも生きられますように。

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