【映画感想】愛がなんだ/愛と呼べなくたって

(C)2019「愛がなんだ」製作委員会

上映が終わって明るくなっても、隣の女性はうつむいたまま動き出そうとはしなかった。申し訳ないので反対側の通路を通ってロビーに出ると、たくさんの恋の匂いがした。

洗面所に入ってぺったんこになった後頭部を直し、身だしなみを整えてロビーに戻る。それてもまだ混雑は収まっていなかった。

「重いっていうか、ヤバいよね」「うちらに似てなくね?」

映画じゃなくて、恋を見た。だから弾む言葉は考察や批評ではなく、思い思いの恋の形。1人で来ていた人もそれぞれの表情を浮かべている。映画に過去の失敗を重ねてしまったのか落ち込み気味の女性。茶色の長い髪をなびかせながら、背筋をピンと伸ばして通り過ぎていく女性の口元には微かな笑みが浮かんでいた。その明るい頬の色を見て、桃色のソーダ水が飲みたくなった。

誰にとっても他人事じゃない物語だったのかな。

テルコの行動は少し過激に見えるけれど笑ってる場合じゃなかった。記憶の引き出しを開ければあちらこちらにもっとひどい思い出が散らばっている。1つの愛に一生懸命な姿を優しく綺麗に撮ってくれる監督がいて、羨ましいくらいだった。

それを愛と呼んで良いかは別にして、見返りを求めず相手に尽くすって1人分の心でできる最高の愛の姿なんじゃないかな。その相手の気持ちがこちらに向いてくれれば最高だけど、それってもう奇跡だよ。それこそ愛なんて呼んで良いのかわからないよ。

なんて心の中の迷いを「愛がなんだ」の一言で切り捨てられたとき、神かよ、って一瞬本気で思った。

多分愛には辞書に載せられるような定義なんてなくて、それぞれが持つ信念の形なんだ。自分と同じものを他人が持っていると勘違いするから揉めるんだ。他人が求める形に合わせようとするから苦しいんだ。受け入れてもらえるかは相手次第なんだから。でも、病人にコッテリモッタリな味噌煮込みうどんがふさわしいのか、そのくらいは考えたほうが良いかもしれない。

テルコやマモちゃんの愛の行方が愛とは呼べない形態に見えたとしても、許してもあげられる優しい世界であれば良いなと思う。型からはみ出したいびつな愛だと見下して安心するための存在ではなくて。

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