【映画感想】カランコエの花/花言葉をいつか君に

カランコエの花

帰り道、そして家にたどり着いてからも、ふとした瞬間に声もなく涙がポロポロとこぼれ落ちた。怒りとか悲しみとか、そういった強い感情ではなくて、心の中を埋め尽くしていたのは悔しさだった。

柔らかな光の中で穏やかに過ぎていく高校生活。他愛のない話をして、何でもないことで笑って、でもたった数年後の未来さえ見えなくて不安だったあの頃。たいした良い思い出のない僕にだって、それなりの楽しい記憶があったことを思い出す。

吹奏楽部の部室から演奏が聴こえてくる。ときどき掠れる音、重なり合って揺らぐピッチ。本物の、学校の部活動の音がする。プロみたいに上手くはないけれど、演奏する人の気持ちが空気の振動に乘っちゃって全部ダダ漏れの音。あれ、あの子は今日調子悪いのかなってわかっちゃうくらいの生の音。僕も吹奏楽部にいたけれど、周りにはきっとこんな風に聴こえていたんだろうな。

僕の心は完全に映画の中に溶け込んでいた。そして僕は当事者になった。

 

ほんの些細な出来事から生まれる猜疑心。好奇心。そして見えっ張りな心。誰も悪気があるわけじゃない。きっとあのクラスなら笑って迎えてあげる結末だって選択できたはずなのに。

「もう、どうしていいか、わかんね……」

その言葉がすべてを物語る。誰もが誰かを本気で傷つけようとは思っていないのにどんどんと全員を苦しめていく。どんな言葉を誰に掛けて良いのかもわからない。言葉にすればそれだけでまた誰かを傷つけてしまいそうな気がして。

この作品に対して「こうすべきだった」なんて言えるのは結果論でしか語れなくなったつまんない大人たちだけだ。あなたがそうでないのなら、結末まで観て一緒に考えて欲しいなと思う。LGBTがテーマになってはいるけれど、それだけじゃなくもっと大事なものが詰まっているから。問題を感じて、考える。言葉にしなくたっていい。それがどんなに大事なことか思い出して欲しい。

 

人が何かを恐れる理由は1つだけじゃない。例えば炎を怖いと思うのは、痛みを知っているからだし、例えば幽霊を怖いと思うのは未知なるものへの恐怖があるから。

LGBTという言葉が広まって、そういう人たちもいるんだってことは知っている。僕としては誰かが誰かを愛するのに理由なんて必要ないと思うし、少なくとも性別とか年齢とか学歴とか国籍とかそういったカテゴライズするために生まれたマーケティング用語みたいな言葉たちは好きになる要因とは考えていない。

でも知らないこともある。仮に同性の友人から告白されたら僕は異性愛者だから断ることになる。がっかりさせてごめんねって。そのとき彼の脳裏に浮かぶのが単に失恋の気持ちだったら、それは男女とか関係ないしちょっと気まずくなっちゃうかもしれないけどこれまで通りよろしくねって思う。だけどもっと複雑な思い、たとえば自分がゲイだから断られたんだとか、全然思ってもいないのにそんな風に受け取られてしまったのだとしたらとても悲しい。そのあたりは正直わからないから戸惑ってしまう、きっと。

多分笑顔で話せるのなら簡単にわかり合えることなんだろう。だけどまだ時代が許してはくれない。ほんの少しの疑惑だけで、自分だけじゃなく無実の人たちまで巻き込んでしまうかもしれないなんて考えたら、そうだよね、言えないよね。ごめんね。

 

それを意図した撮り方をしたというのは後から知ったのだけれど、誰もがとても自然に映っていて、カメラを通してみんなを見ていることさえ忘れてしまいそうでした。上手い演技をするイワゴウサトシさんが浮いて見えてしまうくらい。役者さんのリアルな演技って自然な演技とはまた違う。どっちが上とかじゃなく、そういう発見も面白かったです。

そして映画の最後に聴いた恋の詩は、誰も敵わないほど美しくて、切なくて。

 

この映画、学校を始めいろんな場所で上映されると嬉しいな。それができるようになったとき、きっと世界は変わるんだと思う。

 

(C)2018 中川組