【映画感想】少女邂逅/崇拝から邂逅へ

少女邂逅

あの頃は、目の前にあることだけが全てで。

否定は、この身体にある37兆個の細胞全ての否定で。

目に映るもの、感じるもの

絶望の世界。積み重なる小さな嘘。何も知らない大人たち。出会いは人を変える。真実。

目に映るもの、感じるものすべてが、いつか通り過ぎた思い出のひとつひとつに重なる。取り出して、ポンポンと埃を払って、もう一度目の前に並べてるみたいな懐かしさ。そうだった、あの頃って楽しいようで楽しくなかった。なのにとてつもなく輝いてる瞬間があってキラキラしてて(ギラギラかもしれない)その光に今もなお背中を押されてる。

目に映るものがすべてだったあの頃。

大人になって汚れていって、見えるものだけが全部じゃないって知っている今も残念ながらたいして変わらない。見たいものだけを見る毎日は、視野が狭くなってよりタチが悪い。けれどそれに気づかせてくれたから、もう少しだけ前に進めるような気がする。

 

岩井俊二監督

2人だけの世界。他の人とは違う唯一の存在。白い光。揺れる心の距離。鉄塔。

どこか岩井俊二監督の作品を思い出すようなシーンが何度かあって、でも少し違う部分がある。彼の作品からは少女を高位に置いて崇めているような感じを受けたけれど、枝優花監督の場合はもっと目線が水平に近くてドキッとするほど距離が近くて、そのせいかちょっと怖い。触れてみたいけど触れたらガチで怒られそう。

特にミユリさんの変貌は、言葉にすると「綺麗」なのに心の中では「怖い」になる。

テーマも似てる『リリイ・シュシュのすべて』は映画としての残酷さは強い。『少女邂逅』にあるのは生々しい怖さで、枝優花監督自身が本物の少女として歩んで来たからこそなんだと思う。これはきっと岩井俊二監督も真似できない。

少女崇拝から少女邂逅へ。映画の中との距離感は監督の性格も出ているんだろうけど、時代の流れでもあるのかもしれない。今はすごく近いものが求められているから。

邂逅。カイコウ。カイコ。あれ、そんな理由もあったの?

 

最後の結末~未来

結末。後戻りできない選択。傷。犠牲を超えて生きる未来。クリームソーダ。

最後をどうするかは撮っていて悩んだのかな?いやきっと悩んでないんだろうな。むしろこの終わり方のための物語だったんじゃないかって思うくらい。振り返ってハッとする。大きなトリックにまんまと引っかかっている。目に映るものがすべてじゃないって、気づくのはいつだって手遅れになってからなんだ。

結末のその先がどうなるのか気になっていて映画館からの帰り道にいろいろ考えてしまったのだけれど心配無用でした。『放課後ソーダ日和』という『少女邂逅』と連動した物語を見れば納得です。YouTubeで無料で視聴できるので、まだの人はお見逃しなく!

放課後ソーダ日和【第1話:特別な時間のはじまり】映画『少女邂逅』のアナザーストーリー 森田想×田中芽衣×蒼波純/ 羊文学【フルHD推奨】

 

おわりに

音響が耳にボワボワと残って、そこは調整不足なのかなと思っていてけれど後々効果的に使われていたりして、これはこれで良かったのかも、と思う。もしDVD化されたらきっと再調整されて、あの感覚はきっともう味わえないでしょうから。

 

 

(C)2017「少女邂逅」フィルムパートナーズ