映画からリーダーシップとは何かを考えてみる(その1)

2015年8月18日

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お盆休み中に「人生を面白くする映画を見て語ろう会」というイベントに参加してきました。以前「映画について語ろう会」という別のイベントでお知り合いになった方からのお誘いを受けて参加したのですが、とても考えさせられる内容だったので、その内容を振り返りながらもう一度再考してみたいと思います。

※ネタバレもあるので、映画を観てから読むのをお勧めします。

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「マッドマックス 怒りのデス・ロード」から考えるリーダーシップの姿

イベントの中でまず取り上げられたのは「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でした。この映画にはリーダーと言えそうな人が複数登場します。考え方はそれぞれですが多くの人が以下の3名を挙げるでしょう。

  • 圧倒的な支配力を持つイモータン・ジョー
  • 独裁体制に反抗するフュリオサ
  • 強くて絶対死ななそうなマックス

では、それぞれのキャラクターがどんなリーダー像なのか考えてみます。

 

イモータン・ジョー(カリスマ経営者)

CMqD-ToUkAAeQsL彼は荒廃した世界の中で貴重な水資源を保有し、住人たちに独占供給しています。野菜プラントみたいな設備もチラリと映ったり、食料もどうやら彼の手によってコントロールされているようですす。ここに来れば生きられるよ、という価値を提供し、それによって住人たちに砦の運営や守衛、時には他勢力への攻撃などを命じます。

また自らの威厳を保つ為、わざわざ怖い格好して人前に出たり、これ見よがしに放水して権力を誇示します。武装集団であるウォーボーイズには教祖様のように振る舞ったり。ただの悪いやつではなくて、自分の作り上げた秩序を守るために必死なところも見せたりします。実は病気っぽいのに無理して演じてるところもちょっと憎めません。

映画イベントの中でも彼のリーダーシップは高く評価されていました。政治とビジネス、そして宗教をミックスするスタイルは現代でも人を惹きつける手法ですしね。しかし後継ぎのために自分の子孫を残そうと必死になったり、度を越した独裁体制が仇となってしまいます。このあたりは、後継者問題に悩むワンマン経営者の姿に似ていると思います。

 

フュリオサ(反体制派)

CLvvBZFWIAEcCYkフュリオサさんはイモータン・ジョー配下の隊長でしたが、その独裁っぷりに苦しむ女性たちを救うために脱走を試みます。もともと本人も望んでこの地で暮らしていたわけではないようなので、ずっと脱出の機会を狙っていたのかもしれません。

イモータン・ジョーさんの子を産むためだけに生かされる女性たちを連れて戦いながら逃走する勇ましい姿は、まさしくリーダーの姿に映りました。事前に他勢力との交渉を進めていたり、したたかさも持った女性です。逃走しても無駄だと悟った後は元の砦に戻り、ジョーさんを倒して後継者として迎えられます。しかし暴力がまかり通る世界で頂点に立ち続けることができるのか、少し心配になりました。カリスマ性を持ったジョーさん無きあと、例えば今まで圧政に苦しんでいた人々への慈悲の心とか、そういう代わりになるものを彼女が持っていることを祈ります。

彼女には、やりたい放題の経営者に愛想を尽かし、仲間と一緒に独立して企業しようとする若手リーダーといった姿が重なります。最終的に起業は失敗しますが、古巣に戻りワンマン経営者を追い出してしまった、みたいな感じでしょうか。既存の権力を否定し革命を起こす。その点において素晴らしいリーダーシップを発揮しました。

 

マックス(個人の能力が高すぎる人)

CMbONXPUsAAn4Z9この映画の主人公なのですが、よく考えるこの物語の中に無理やり放り込まれただけのような気がします。最初は輸血要員、ようやく解放されたと思ったら運転手。高い能力があるし、他人を見捨てたりはしないけれど、好んで人の上に立とうとはしない人のようです。

映画イベントの中では、彼をリーダーでは神のような存在と例える人がいました。仲間のために命を惜しまないし、助言だってする。でも彼はどんなことがあっても死ななそうだし、彼の言葉は絶対の真理のように聞こえます。それはまるで命令というより啓示のよう。しかもマッドマックスシリーズではお決まりですが、人々を導いたあとに彼は去ってしまい、物語の中に最初からいなかったのように消えていきます。この辺が人間とは懸け離れた存在に感じる理由かもしれません。

人と生きるのは嫌いじゃない、でも組織の中に収まるのが苦手で一人で自由に生きることを選ぶ人もいます。マックスさんもそういう人なのでしょう。能力は高いんだけど仕事っぷりがあまりにハード過ぎて一緒にいる人が病んでしまうようなタイプの人でもあるのかもしれません。こうして考えるとリーダーシップからは離れているような気がしますが、有無を言わさず付いていきたくなる存在感からはリーダーの器、もしくは信仰対象のようなものを感じます。

一人の参加者の方が、彼はサーバント型リーダー(メンバーを引っ張るのではなく支えるタイプ)なのではないかという意見を話してくれましたが、結果として自分ではなくフュリオサさんをリーダーのポジションに持ち上げるという行為からして、確かにそういう側面もあるのかもしれません。皆を陰ながら支える、旗振り役としてのリーダーシップですね。

 

まとめ

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の中では、タイプの異なる3人のキャラクターが存在し、それぞれ三者三様のリーダーシップを取っていました。支配型のジョーさん、引っ張ってくタイプのフュリオサさん、支えるタイプのマックスさん。誰が正しいのかは状況によって変るでしょうから、この映画のようにカリスマ経営型のリーダーが悪いというわけではありません。もちろんやり過ぎはダメですけど。

でも、3人とも他の弱点を補えるような力を持っているので、もし暴力だけではなく話し合いもできる世界であれば、ジョーさんとフュリオサさん、そしてマックスさんがうまくマッチする未来もあったのかもしれませんね(映画としては全然面白くないですが)。

今回はマッドマックスのキャラクターからそれぞれのリーダーシップの形を考えてみましたが、次回はイベントの中で取り上げられたもう一つの映画「スパルタカス」を題材に考察してみたいと思います。

続きはこちらです。

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